こころ と あたま

精神科看護師を経験し、将来は精神科医を目指して今春から医学生になる僕のつぶやきです。概ね私見なのでご承知願います。

なぜ「自粛」は必要か

※この記事は2020/3/29に投稿したものです。
志村けんさんはじめ、犠牲となった方々に心よりご冥福をお祈り申しあげます。
引き続きの感染拡大防止につとめて、頑張っていきましょう。
 
 
新型コロナウイルス」(以後、SARS-CoV-2)の感染拡大が止まりませんね。(この書き出し、1日に何件あるんだろう)
首都圏や大阪などでは週末の「外出自粛要請」が発表され、「不要不急の外出」を控えている方も多いと思います。「3密」(密教じゃない方の、densityの方の)を避けて、ってことも都知事が言ってましたね。
今日は全く「精神」にフォーカスを当てませんが、自粛の必要性についての僕なりの考えをまとめたいと思います。
 

「日本頑張ってる」とは言えない

爆発的患者数の増加が起きた中国や欧米国に較べると、日本はSARS-CoV-2感染の拡大を抑えこめている。制御できている。と感覚的には思うかもしれません。
ただ、「感染者数」というのは、
「①SARS-CoV-2感染の疑われる症状がある人の中で、
②他の患者との接触歴があるなどしてSARS-CoV-2感染の可能性がある人について、
③検査を行った結果、
④陽性と判断された人の数」
という限定的な条件をつけまくった結果の数にしかすぎないので、ほんとうの「感染者数」というのはわかりませんし、何より、確実に、発表されている数より大きいということに注意しなくてはなりません。
そもそも、患者数が増えていっている時点で、制御できているとは言えません。
 

「致死率低い」は今だけ

もう一つ気をつけるべき点が、「多くは軽症で経過し、致死率は低い」というイメージを持ってしまうことです。確かにいわゆる「風邪の症状」に過ぎないというか、風邪を引き起こすウイルスの亜型のウイルスではあります。ただ、皆さんもご存知の通り、基礎疾患やリスクがあると重症化し、命を落とす恐れがある点に注意しなければなりません。
志村けんが重症化し、体外式膜型人工肺「ECMO」を取り付けているような状況にあるというニュースもあります。(いくら事務所の発表とはいえ、病状を事細かに発表し過ぎじゃない…?と気になりますが、)高齢、酒、タバコ、呼吸器系の基礎疾患…など、重症化させる「ハイリスク因子」が揃いに揃ってしまい、厳しい状況にあります。早く回復して、病院でコントしてほしいですね。。。
今は設備や技術、人材面でも、志村けんのような重症患者を回復に向かわせることが可能な体制があります。これによって低い致死率に抑えることができているんです。
 

もし今後、患者数が大幅に増えた場合…

例えば20人で満床になるICU(集中治療室)に、100人の患者の受け入れ要請があった場合、受けられないことは当たり前ですよね。
この状況では、災害の際に行われるような「トリアージ」が行われます。重症の中でのトリアージは、基礎疾患や年齢、習慣による身体機能の低下などから、回復の見込みがある人を選ばざるを得ない状況です。
今、志村けんのような重症化した患者さんでも救うことができていますが、この状況になるとどうか。患者数の爆発的増加を抑えないといけない理由はここにあります。
 

「インフルエンザは毎年流行るけどなんもせんで、なんで今回に限って自粛とか、対応せなあかんの?」

昨日ある芸人さんが、テレビでこのようなことを質問されていました。
インフルエンザについても十分気をつけなければなりませんが、この質問について僕が思うのは、
「新興感染症のために、治療法や感染制御に対する知見が十分にないこと」が、このSARS-CoV-2感染の脅威たる所以だということです。十分な対応ができない状況で、患者が爆発的に増加すると、医療体制は容易に崩壊する。医療が崩壊すれば、救えたはず命が救えなくなる。こうならないように、拡大を防ぐ必要があるんだと思います。
僕も当初は「ただの風邪ウイルスやん」とナメてかかっていた部分がありましたが、そのような意識でいることで、今も現場で、なんならこの「新型コロナウイルス」感染により重症になった人たちを救うために、連日働いている僕の友人たちを苦しめてしまうことになると気づき、反省しました。ほんとうに頭が上がらないです。頑張ってください。
 

それじゃ、僕らにとって取るべき対応は何?

政府の対応がどうだとか、「自粛って…責任をこっちに押し付けんなよ!不要不急ってどこまでだよ!」といった不満が募りますよね。僕もいざこの自粛ムードに突入すると、不満に思うことも出てきちゃいます。
ただ、、、
「答えは分からない、分かるはずもないのさ(新興感染症だから)
たったひとつ、確かなことがあるとするのならば
家にいてなーーーーーー

初めて観るときは観なおし必須!『ビューティフルマインド』

※この記事はネタバレを含みます。この記事を読んでからだと初めて観るときの面白さが半減するので、まだの方はとにかく観てください。
 
今日は前回の記事、

 

psy-nstodr.hatenablog.com

 

の冒頭でも述べた、この映画の紹介です。
 

『ビューティフルマインド』(原題:A Beautiful Mind)

ビューティフル・マインド (字幕版)

公開年:2001年
脚本:アキヴァ・ゴールズマン
 
実在する数学者、ジョン・ナッシュの半生を描いた同名の伝記が原作。
プリンストン大学院に奨学生として入学した将来有望な天才、ジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)は、内気で頑固な性格で、学校生活にうまく馴染めず、授業にも出席せず、ただ自身の興味ある研究に没頭する。
授業に一度も出席せず、どこへも推薦できないと教授から言われるが、ひょんなきっかけで「ゲーム理論を発案し、人生は上向きに動き始めたように思えた。しかし…?
 
精神科映画シリーズ、初回〜前回までの3作品が、精神科病棟が舞台での映画だったのですが、初めて主人公の生活を長期的に描く映画になります。タイトルから察する通り、むちゃくちゃ泣ける。むちゃくちゃ感動する。
 

展開にひたすら驚く

※もう一度言いますが、ここからは本当にネタバレシーンです。
 
この映画の魅力を、ネタバレ抜きで語ろうとするのが難しい理由。それは2回以上観た人ならわかるんですが、ジョン・ナッシュ統合失調症を発症しているのがもう序盤の序盤だからルームメイトであるチャールズ(ポール・ベタニー)がすでに幻覚。初めて観たときの衝撃よ。
僕がこの映画を初めて観たのは、友人宅で遊んでいて、「とくにおすすめの映画観せたるわ。」と言われ、なんの前情報もなしに観たときでした。スパイ映画かと思ったら、衝撃。僕におすすめってそういうことかってなった。笑
観終わってから勝手にひとりで観なおしましたし、家に帰ってからもレンタル屋で借りて観て、いい映画過ぎて泣いた。
 
ネタバレしちゃっていいんだから、今日は心に残る名場面トップ3にします。
 

第1位:アリシアとの初デート、ジョンが滅多にみせない「素」の表情

のちの妻となるアリシア(ジェニファー・コネリー)との初デートシーン。変わり者同士のふたりは星空を下に急接近していきます。
「何か形を」とジョンが言い、「傘」とアリシアが答えると、ジョンは星を結んで「傘座」を描きます。次は「蛸」を…と、幸せーな時間が流れます。
いやー、数学すげぇ。
 
注目すべきはジョンの表情。いつも考えこんでいたり、何かに怯えたりする彼ですが、この時の表情がとにかく穏やか。妄想に支配されつつある「あたま」ではなく、彼が「こころ」で対話できているシーンです。
 
そういえば、なんで「傘」と「蛸」なんでしょうね。
共通することは…8? (傘の骨と蛸の脚)
8は関ジャニ的に…∞?
映画の中でのひとつのキーワードでもある「無限」を意味しているのだと推測します。(無理矢理)
 

第1位:「こころ と あたま」の由来!病気の克服に向けて動き出すきっかけ

入院での「インスリンショック療法(後述)」を中心とした治療により、一度は幻覚も治まり、退院して静かに暮らしていたジョンでしたが、薬を飲まずに隠していたことで幻覚が再びあらわれるようになります。医師より再度入院を迫られますが、ジョンは「時間がほしい」とのこと。
アリシアは、ジョンを苦しめる「あたま」の中の「夢」から解放するため、彼の美しい「こころ」で病に立ち向かうように語りかけます。
ここから、ジョンにとっては辛くて長い、病気との戦いが始まる…。
 
実際のところ、根性で治すことはかなり厳しいので、おすすめはできません。
ただ、ここからラストシーンへのつながりが感動的すぎて。特に幻覚であるルームメイトとその姪との「別れ」を告げるシーンとか、胸がぎゅうぎゅうになりますわ。
 
因みになんですが、このシーンに感銘を受け、ブログタイトルを「こころ と あたま」にしました。
 

第1位:名誉に捧げられるペン…感動のラスト

「こころ」での克服を始めて数十年後、ジョンがノーベル賞を受賞することに。相変わらずの調子で、自身の病気について話していると、周りの人たちから続々と名誉のためのペンが渡される。映画序盤で彼が悔しい中で目にした夢見た光景。その中心に彼がいた…
ノーベル賞授賞式では、支えてくれたアリシアへ言葉を捧げる…
その後、遠くから彼を眺める幻覚たち…
全ての描写が泣けるーーーー。
もう1回観てきますね。
 
 
以上の3つが1位タイで優勝しました。誤植を疑った人ごめんなさい。ほんとうに、それぐらい感動的なシーンばかりで、闘病するジョンの姿もかなり印象的なんですが、それにも勝る勢いで感動の嵐です。ほんとうに心に残る素敵な映画だなあ。
 

ここまで読んでくれたあなたに…ざっくり精神科メモ

インスリンショック療法
1950年代頃までは行われていた、統合失調症治療のためのショック療法の一つ。
血糖値を下げるホルモンであるインスリンの製剤を多量に投与し、極度の低血糖にすることで、患者をショック状態にします。その後、ブドウ糖を投与して意識を回復させます。この一連の流れを繰り返すことで症状が治まっていくという治療法です。
脳はすごく不思議なもので、他の組織とは違ってタンパク質や脂質をもととするエネルギーを利用できず、糖のみがエネルギー源となります。極度の低血糖になることは、脳にとって「危険な状態」なので、さまざまな事故のもとになります。
このようにリスクが高いこと、さらには統合失調症の治療薬である抗精神病薬の開発が進んだことで次第に行われなくなりました。

幻覚と妄想の世界を覗いてきて学んだこと

統合失調症患者が感じている幻覚と妄想。側から見れば「それ、妄想だよ」ということも、患者さん自身からすると否定しがたい事実としてあり続け、時には患者さんを苦しめる症状です。
映画『ビューティフルマインド』では主人公の目線から描かれるため、どこからが現実で、どこからが現実でないのか、ということがわからないことを体感できるはずです。
 
看護師をはじめとする臨床や地域での精神疾患を抱える患者さんと関わる実習の中では、これらの「訴えを聞く」ということが苦手とする人からすると、ひとつの鬼門であるとしばしば耳にします。
 
僕は看護師時代も今も、患者さんたちからこうした話を聞くことに抵抗がありません。ひとりでカフェで過ごしている時に「アキエちゃんの大親友で、私はとうとう霊長類最強になった」人に話しかけられるなどしていますが、元気にやっています。
ちなみにアキエちゃんは最近、「桜を見る会」のことでけっこう疲れ気味らしいです。(時間差)
 
先日友人と「妄想について話された時、どうしていいかわからない」という話になり、僕は割と楽しんでいると話したのですが、そういえば、なんで楽しむようになったんだろうと自分の中で疑問に感じたので、今日はその訳について考えていきます。
 

日常的に覗けた「世界」

看護師をしていたころは、入院中の患者さんの幻覚や妄想を聞くことが日常的でした。看護師という職業柄、ケアやレクリエーションのときとか、ちょっと仕事に余裕があるときには患者さんたちと雑談することもあったんですが、その雑談の中でその「世界」についていろいろと教えてくれました。
患者さんに対して危険が及びそうなことでない限り、いつも「へえ〜!」みたいな感じで聞いていました。
 

「世界」の存在を信じるか問われたこと

僕が患者さんからそんな「世界」の話を初めて聞いたのは、精神科での学生実習のときでした。担当した患者さんは、「テレパシー」によって人の考えていることが聞こえてしまったり、逆に自分の考えが人に伝わったりすることに悩まされていました。
それからくる、今回の入院に至った経緯や過去にあった一番辛い体験を教えてくださっていたのですが、その患者さんが退院直前になって、
とくさんは、テレパシーって信じる?
と、聞いてきたのです。
患者さん自身が、その「テレパシー」を現実ではないものと疑い出したことがわかる発言なので、とっても重要な質問ではありました。
ただ、経験のない僕には素直に返答できるスキルもなかったので、
「僕は『テレパシー』を感じ取れないので、残念ながらわかりません。ただ、幽霊が『いる』と思うと怖くなることはあるし、『いない』と思えば気にせず過ごせるんじゃないでしょうか。」
と、少々はぐらかした感じで返事したのを覚えています。
この質問にどう返事すれば良かったのか。
 

正しい返事なんてなかった

「病的体験の訴えには、否定も肯定もしない」
多くの教科書で、この表現が用いられます。いやいや、その判断を迫られたらどうするんだって話。学生の僕は悩みました。実習中の学生同士のカンファレンスの題材にもしたのですが、話し合った末、対応について明確な答えは出ませんでした。
ただ、その答えがないこと自体が、答えであるかもしれません。そんないろんな意味でむず痒い言葉が頭をよぎり、こうした不確定性に、この学生はますます引き込まれていくのでした。(未完)
 

問題は「世界の有無」ではなく、「世界が脅威かどうか」

今になってそのことを考えると、「そこ、悩むところちゃうやろ」と突っ込みたくなります。
看護師として働き出してから、幻覚や妄想がありながらも穏やかに生活している人、さらにはそれを「ブンチャカいってんねんけどな、リズムがな、なんとも心地いいねん」とか、「ええこと教えたるわ」とかと言って、楽しんでいる人と出会うことが多々ありました。
こうした経験のなかで、幻覚や妄想が患者さんにとって脅威とはならない場合には、僕らもおそるおそる聞く必要がないんだと感じていくようになりました。
 

「病気でなく人をみる」感じ

僕が患者さんたちの穏やかな幻覚や妄想を楽しめるようになったのは、その人の個性が浮き出てくることを感じるようになったからです。
父はプーチン、祖父はスタローン」と言うのなら、ムキムキ外国人が好きなんだなぁ、とか。
病歴には決して載ることのない患者像を、僕の中で描くことができるようになり、途端に「病人」ではなく魅力的な「人」としてその人をみることができるようになりました。
 

僕が一生をかけても、みることのできない「世界」

楽しめる理由はもう一つあって、その「世界」はオリジナリティやユニークさのない僕にとって、思いもつかないアイデアで溢れているという点です。
保護室にいて退屈だから、壁に「テレビ」を見つけて野球観戦したり(このときはつい、「今どっちが勝ってます?」と聞いてしまった)、病棟スタッフをいい魂や悪い魂に分類したり。その発言の意図をしっかりと汲み取る必要はありますが、表現としてはとっても魅力的なものばかりでした。
 

「世界」を覗いて楽しむときのマナー

楽しむようになった流れがわかってきたところで、この記事を読まれている方へ、もしこういう話題に触れたときのマナーについてお話ししておきます。
マナーと言っても、そんなに堅苦しいことではありません。あくまで「聞き役に徹すること」を意識して欲しいです。
実を言うと、あんまり話を深めると「妄想の城」の建設に加担することになります。なので、’’So, what?’’とか’’Why so?’’とか、ロジックの完成に向けて頑張ってはいけません。
普段の雑談と変わらないような、自然な態度で、受け身の姿勢で聞いてみてください。
 
 

精神科の映画といえば…『カッコーの巣の上で』

3回目にして、王道の映画を。
 

カッコーの巣の上で(原題:One Flew Over the Cuckoo’s Nest)

カッコーの巣の上で (字幕版)

公開年:1975
 
ケン・キージーにより書かれた同名小説が原作。
主人公マクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は刑務所での強制労働を免れるため、精神疾患を抱えているフリをして、鑑定のために精神病院へと入院することになりました。
ただ、この当時の精神科病院は、積極的に患者を治療して短期間で社会に復帰するのを目指すのではなく、長期的に、ときには生涯に渡って患者を入院させることがざらにありました。また、マクマーフィが入院した病棟では、看護婦長による「絶対王政」が築かれていました。
規則だらけの入院生活に不満が募り、あえて規則に逆らって、婦長を本気で怒らせようと、様々な逸脱行動を重ねていきます。そして遂には病院からの脱走を計画しますが、その行方は
物語の中で描かれるマクマーフィの、手段は悪くても純粋に自由を求める姿が観ていてスカッとします。患者たちも個性豊かで、病棟規則には従うことを余儀なくされていましたが、マクマーフィの入院によってその心が次第に動き始める描写がリアルです。見どころ紹介していきます。
 

①描かれる「古き良き精神科病棟」

今はこんな病棟はないと信じたいですが、いくら慢性期病棟とはいえ、いろんな面がゆるすぎ。看守も一緒にお酒を豪快に飲んで乱痴気騒ぎする場面もありますがこれはさすがに脚色だよね?笑
治療面でも、今では考えられない点が。電気けいれん療法やロボトミーの「懲罰的適応」です。治療的な目的より、規則を守らせるため、暴れさせないためにやっているのはちょっと待てぃ!各種治療については後述。
 

②マクマーフィの「いいやつだけどクズ」感

マクマーフィは明らかな精神疾患ではないものの、異常なまでにルールを破りたがります。『シャイニング』のときのジャック・ニコルソンほどではないですが、まあまあクレイジー。見方によれば、「反社会性パーソナリティ障害」とみることができたり、できなかったり。
誰とでも分け隔てなく仲良くするタイプで、聾唖の との友情は映画のキーポイントになっていきます。誰とでも分け隔てなく仲良くできる人って羨ましいですよね。
 

③看護婦長の優しさゆえの「絶対王政

看護婦長のラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)は、支配のために患者らに厳しい規則を課せているのではなく、彼女の看護観としての規則なんです。患者さんたちに良くなってもらうために、穏やかな日常を提供するためには、この方法が最善だと信じています。マクマーフィからしたら思いっきり敵キャラなので、嫌な人に見えるかもしれませんが、そこも汲み取って観ると面白いですよ。
中でも吃音症のビリー(ブラッド・ドゥーリフ)の母親とは親友の関係であり、母親の思う方向にビリーを育てたいという気持ちがとっても強かった
 
ネタバレに注意しながら書きましたが、匂わせが半端ないですね。けっこう古い映画なので、「行間」みたいなのが曖昧な点もあるので、この記事と併せて観られてみてはいかがでしょうか。
そういえば、サイドストーリーとしてはビリーの心情に注目!
 

ここまで読んでくれたあなたにざっくり精神科メモ

電気けいれん療法(ECT)
精神科で行われていたショック療法のひとつ。現在では安全性の高い「修正型電気けいれん療法(mECT)」として世界的に広く行われています。何を修正する必要があったのか。頭に電流を流すと、脳波が乱れに乱れて全身がけいれんします。これにより患者さんが怪我を負うリスクがとんでもなく高かったんです。そもそも、頭に電気を通されるだけでとんでもなく痛い。今では全身麻酔をかけて、筋弛緩剤を投与して、痛くない、全身がけいれんしない治療を実現しているので、名前はおどろおどろしいですが安心してください。
劇中でペナルティ的に行われているんですが、この使い方はもはや拷問。適応となる疾患も限られているので、なんでもかんでも通電しとけば大人しくなるわけではないです。
 
ロボトミー
かつては世界中で行われていた、精神疾患に対する外科的手術。ロボ(lobo)ラテン語由来で「前頭葉」の接頭辞、トミー(tomy)は「切除術」の接尾辞なので、日本語に訳せば「前頭葉切除術」となります。文字通り、前頭葉を切除する手術です。発見当初は重症統合失調症患者で劇的な改善が見られたのですが、世界的に広まるにつれて報告された重大な副作用が「人格の崩壊」でした。嘘みたいな本当の話。🤯現在では精神科の黒歴史として有名で、絶滅した治療法です。

「ガラルのすがた」は人にもあるか

ポケットモンスター ソード/シールド』にハマっています。

ポケモンをプレーするのは『サファイア』以来だったので、いろいろと進歩し過ぎてて感動。あるあるですが、フィールドが立体なことに驚いています。
従来のポケモンたちも出てくるんですが、「ガラルのすがた」となったポケモンが中にはいて、ムーミン谷にいそうな「ニャース」がいたり、「サニーゴ」が白化していたりして、タイプが変わっていることもあるので楽しいところ。
 

「ガラルのすがた」をとる理由

地球でも、地方が違えば動物たちの姿も変わる。生物学的適応の結果を見ることができます。その自然のシステムを、ゲームの中でも表現されています。気候変動により白化したサニーゴを除いて、何世代にも渡って微妙な変異を積み重ねて、種はその地域特有の進化をしていったようです。
公式の図鑑から、進化の経緯を知ることができました。
 
ニャース」ソードに記載あり
もさもさの髭はクロガネなんですね。
 
マタドガス」シールドに記載あり
「なぜか」というよりこっちの方が有利にはたらいたんでしょうね。
 

「水のない惑星のすがた」のヒト、ジャミラ

ヒトが進化した例で言えば、ウルトラマンジャミラです。ぬりかべみたいなやつ、あれ、もとは人らしいです。
一世代でここまで変われるのはすごい。遺伝子の発現を変えに変えても、口から吐く100万度の高熱火炎と、インド象5000倍の腕力は出せるのか何より身長50m、体重1tはえぐい。(*1)
生物学的適応では説明がつきません。唯一、考えられるとしたら「強い執念による変化」です。ええと、本題はなんだ。
 

「ガラルのすがた」は人にもあるか

これこれ、本題。こんなことを考えました。「ガラルのすがた」は人にもあるか。
きっかけは沖縄旅行中、いつもよりテンションが高い自分であることに気づいたことです。沖縄の温暖な気候により、なんとなく開放感を感じました。旅行を思い切り楽しみたい気持ちもあるんでしょうが、もっとベースの部分で、活力みたいなのが普段より高くなっていた感じがしました。
100万度の炎を吹くことはありませんでしたが、「沖縄のすがた」の僕になっていました。
 

環境調整により、ベストな「〇〇のすがた」を見つける

病院勤務時代、患者さんの退院への支援で「環境調整」も気にかけていました。
いくら今の投薬の内容で症状が抑えられていても、日常生活に戻ることでストレスがかかり、調子を崩して再度入院となる患者さんが、どの地域においてもいられるはずです。
「ここで一か八か、沖縄に移住してみましょう!!」なんて突拍子もない提案はすべきではないですが、ちょっとした気がかりさえなくなれば、調子良く過ごせる人も中にはいるのではないでしょうか。
各論に入ると、本当に一人ひとりの状況をしっかり聞き込んで、いろんな角度から検討してという作業になるので、まったく具体的な話は出ないままこの記事は終わりますが、「しんどいときは、思い切って環境を変えてみる」がいいかもって話。(余談多すぎて埋もれたイイタイコト)

和製コメディ版17歳のカルテ?『クワイエットルームにようこそ』

自粛ムードが続いていますね。外出を控えている方も多いのでは。僕も基本はインドアなので、映画を観て過ごすことが多いですね。今日も映画を紹介します。
前回、1960年代アメリカの女子閉鎖病棟を描いた『17歳のカルテ』を紹介しました。

 

psy-nstodr.hatenablog.com

 

今回は日本の女子閉鎖病棟を描いた映画です。
 

クワイエットルームにようこそ

クワイエットルームにようこそ

公開年:2007年

 

松尾スズキによる同名小説を映画化。内田有紀主演、「言われるがまま」の彼氏役に宮藤官九郎、「ステンレスでできている、冷酷な看護師」役にりょう、患者役に蒼井優大竹しのぶ、ハリセンボン箕輪はるかなど…実力派、個性派の豪華俳優陣。絶対面白いやつ。
精神科テーマのほかの映画は、ずっしり重たくのしかかってくる感じがするものが多いんですが、コメディ要素が強く、楽しんで観たい方におすすめ。
タイトルにある「クワイエットルーム」とは、患者間での保護室の呼び名。危険行為に及ぶ患者を身体抑制下で隔離する、静穏に向かわせるための部屋のことです。オーバードーズ(過量服薬)により、昏睡状態となった佐倉明日香(内田有紀)は、気がついたら胴、四肢の「5点拘束」されていた。すぐにでも退院したい明日香だが、「病院ルール」がそれを阻む。次第に明らかになっていく入院の経緯に隠された真実とは…?
個人的な見どころを紹介します。
 

文字に起こしたくなる会話

コミカルなキャラクター勢による、台詞がいちいち面白いです。どの役者さんも、役に入り込んでいるというか。やっぱりすごいなーって思います。特に明日香とその彼氏、鉄ちゃん(宮藤官九郎)とのやりとりはノリも間合いも面白く、何度観ても笑ってしまう。
  

大竹しのぶの演技力

新入りの患者に優しくつけ込み振り回す、過食症患者を大竹しのぶが演じています。品性に溢れ、常に穏やかに、時に天然な部分もある素の大竹しのぶからは全く想像がつかないほど、きっついきっつい性格の患者を演じています。さすが日本を代表する実力派女優と圧巻されること間違いなし。
 

ミキ(蒼井優)が抱える闇

拒食症でありながら、他の患者に比べると人となりも良く、明日香との仲を深めていく患者、ミキ。摂食障害患者にとっての食事こそが治療で、それに前向きな姿勢をみせる彼女だが、どこか深い闇を抱えている…。それを言外に出せる演技力がすごい。
 
ストーリーの展開もとても面白いのですが、キャストがすごくいいですねーー。見どころがキャラクターばかりに注目したものになってしまった。笑 
ちなみに、舞台が「精神科の女子閉鎖病棟」であることやキャスト配置などから、前回紹介した『17歳のカルテ』のオマージュとよく言われますが、実際はどうなんでしょうか。個人的には、舞台は似ているけど、楽しみ方はまったく違って素敵な映画だと思います。シーンのひとつひとつに病みつきになること間違いなし。
  

ここまで読んでくれたあなたに…ざっくり精神科メモ

身体抑制
保護室のような隔離された部屋において、それでも患者に危険がある場合、身体を拘束具で固定することがあります。安全性は確保されますが、抑制部位の循環障害をはじめとする、さまざまなリスクが伴う対処法なので、十分な観察と早期の抑制解除を目指すことが重要です。 
医療保護入院
劇中では「強制入院」と言われていますが、この入院区分でいえば医療保護入院のこと。患者が、治療が必要な状態にもかかわらず、入院の必要性について了承できない場合、本人の同意がなくても、保護者の同意により患者を入院させることができます。

「春の匂い」は「匂い」なのか

昨日は天気が良く、カッフェの屋外にある席で優雅な時間を過ごしていました。
冬ももうすぐ終わり、春がやってくるんだなあと感じながら、その時一緒にいた人たちとの間で、「家を出た時に、季節を感じる経験」の話題になりました。
昨日もいろいろ考えたんですが、なかなか答えが出ず。おそらくほとんどの人が感じたことのあるこの経験について、あれこれ考えていきます。
 

プルースト効果

季節を感じるとともに、「懐かしさを感じる」という意見がありました。確かに僕も懐かしさを感じます。匂い、懐かしさといえば、まずプルースト効果があげられます。これは嗅覚や味覚から、記憶が思い起こされることを指す用語です。
プルーストの小説、『失われた時を求めて』のシーンから来ているようですね。
 
仕組みについてざっくり説明すると、「匂い」は鼻腔内にある「嗅上皮」を起点に、嗅覚に関する神経系を通って、最終的に「海馬」に情報伝達されます。この「海馬」は記憶を司る部位で、ここで今嗅いだ匂いの情報が、過去に嗅いだことのある匂いかどうかを照合すると考えられています。
このとき、その匂いに関連した記憶も刺激され、それらが思い起こされることで、あの特有の懐かしさが惹起されるという仕組みです。
 
つまり、
①春の匂い(草木の匂い、お日様の匂いetc.)を嗅ぐ。
②匂いの刺激は電気信号として神経を伝って海馬へ。
③1年前の春が来た時に嗅いだ匂いと照合。
④ついでに1年前の経験や記憶も思い起こされる。(休日遊びに行ったこと、出会い、別れ、ちょうど1年前にこの道を通った夜etc.)
 
…いきなり科学的根拠に基づいた話で、これが正解な気もしますが、無謀にももうちょっと足掻いてみます。
 

第六感

シックスセンス、いい映画ですね。(余談)
ひとつ考えるのは第六感、念、です。
実は念がエネルギーを持つ可能性があるという研究が進められています。
いろいろ大丈夫かなって気もしますが
ヘェ〜そうなんだって話ですよね。(DaiGo風に)
 
ここから考えられることは、
①家を出た瞬間、嗅覚による「匂い」をはじめ、視覚による「春の風景」、聴覚による「草木が風にそよぐ音」、触覚による「温かみ」といった実在するものではなく、五感では感じられない「春」を第六感で察する。
②まだはっきりとわからない、念による情報は、僕たちにとって理解の進んだ五感の一つとして感じ取ることになる。
 
「見えるものに関する物理学」ニュートン力学の時代から、レントゲンがX線を発見したことで多くの物理学者たちがそれに魅了された、「見えないほど小さな世界の物理学」である量子力学の時代へ移って百余年、次は「見えない世界の物理学」、念力学へと時代がシフトしていくのでしょうか。ああ浪漫浪漫。
 

西田幾多郎の「純粋経験

こちらは念、ではなく、禅から着想を得た思想です。
 
西田幾多郎は「初めて日本語が母語哲学書」を書いたとされる、超一流の哲学者です。主著「善の研究」は中身も超一級品で、是非とも読んでみたいのですが、僕の読解力では読める自信がありません…精進しようと思います。ですが西田の純粋経験の考えは、高校倫理でも取り上げられる題材なので、僕でもいちばん表面の部分だけ知っていました。
 
わかりやすい参考があったので、紹介しておきます。
 
僕が考えるのはつまりこういうことです。
①「春の匂い」は「匂い」とかそういう部分的なものではなく、「春の匂い」そのもの。
②家を出た瞬間、「春の匂い」に出会った僕たちは、「春の匂い」の中に没入する。
③意識に上がってきたとき、「あ、春の匂いだ」と、春の「匂い」を感じる。
 
????????????????。
そういうこと!!(丸投げ)
 

「春の匂い」は、「匂い」であるが、匂いだけじゃない。

スピリチュアルな話にも切り込みながら、いろいろ考えましたが、概ね匂いによるものみたいですね。ただ、それ以上の、なんとも言えない部分に関しては、まだまだ深い深い神秘の部分がありました。ま、トータル春を感じれたらそれだけでOK。いい日やわーってなる。