文化的活動は非日常のままでいいのか?(3/3)
一旦の最終です。短いです。いろいろな読み方があると思います。
根源性欲求の復興
根源性欲求と概念性欲求との互換性により、一度失われた根源性欲求を復興させることができる。
非日常に置かれた文化的活動を、概念性欲求により日常の中に取り入れる。他者関係の中で、一部ではその活動が、根源性欲求を満たすことになる。その人の中で、根源性欲求は日常のなかで満たされるものとなる。
生きることとは何かという問い
日常の中で満たされる根源性欲求により、生きることとは何かという問いに対する、極めて流動的、相対的な解が、日々もたらされることになる。
この解とは何か。ひとつ想像するに、過去を残すことであると推測する。世界の完成の過程としての過去を残すのだ。ただ世界の完成のために。
将来のため、文化的活動を日常のなかに取り入れるべきだ
先に述べた通り、現代を生きる人々が根源性欲求を満たすことは、残念ながらできない。しかし将来の世代に対して、根源性欲求を備え付けることは可能である。
方法は、現代の人々が概念性欲求を満たし続けることである。非日常の生活の中で、今日限り取り入れてみるだけで済ますのではなく、日常の中に文化的活動を取り入れていくことを続ける。
実体のない「生きること」への解は、こうした環境の中で、再び自然に生まれる。