こころ と あたま

精神科看護師を経験し、将来は精神科医を目指して今春から医学生になる僕のつぶやきです。概ね私見なのでご承知願います。

幻覚と妄想の世界を覗いてきて学んだこと

統合失調症患者が感じている幻覚と妄想。側から見れば「それ、妄想だよ」ということも、患者さん自身からすると否定しがたい事実としてあり続け、時には患者さんを苦しめる症状です。
映画『ビューティフルマインド』では主人公の目線から描かれるため、どこからが現実で、どこからが現実でないのか、ということがわからないことを体感できるはずです。
 
看護師をはじめとする臨床や地域での精神疾患を抱える患者さんと関わる実習の中では、これらの「訴えを聞く」ということが苦手とする人からすると、ひとつの鬼門であるとしばしば耳にします。
 
僕は看護師時代も今も、患者さんたちからこうした話を聞くことに抵抗がありません。ひとりでカフェで過ごしている時に「アキエちゃんの大親友で、私はとうとう霊長類最強になった」人に話しかけられるなどしていますが、元気にやっています。
ちなみにアキエちゃんは最近、「桜を見る会」のことでけっこう疲れ気味らしいです。(時間差)
 
先日友人と「妄想について話された時、どうしていいかわからない」という話になり、僕は割と楽しんでいると話したのですが、そういえば、なんで楽しむようになったんだろうと自分の中で疑問に感じたので、今日はその訳について考えていきます。
 

日常的に覗けた「世界」

看護師をしていたころは、入院中の患者さんの幻覚や妄想を聞くことが日常的でした。看護師という職業柄、ケアやレクリエーションのときとか、ちょっと仕事に余裕があるときには患者さんたちと雑談することもあったんですが、その雑談の中でその「世界」についていろいろと教えてくれました。
患者さんに対して危険が及びそうなことでない限り、いつも「へえ〜!」みたいな感じで聞いていました。
 

「世界」の存在を信じるか問われたこと

僕が患者さんからそんな「世界」の話を初めて聞いたのは、精神科での学生実習のときでした。担当した患者さんは、「テレパシー」によって人の考えていることが聞こえてしまったり、逆に自分の考えが人に伝わったりすることに悩まされていました。
それからくる、今回の入院に至った経緯や過去にあった一番辛い体験を教えてくださっていたのですが、その患者さんが退院直前になって、
とくさんは、テレパシーって信じる?
と、聞いてきたのです。
患者さん自身が、その「テレパシー」を現実ではないものと疑い出したことがわかる発言なので、とっても重要な質問ではありました。
ただ、経験のない僕には素直に返答できるスキルもなかったので、
「僕は『テレパシー』を感じ取れないので、残念ながらわかりません。ただ、幽霊が『いる』と思うと怖くなることはあるし、『いない』と思えば気にせず過ごせるんじゃないでしょうか。」
と、少々はぐらかした感じで返事したのを覚えています。
この質問にどう返事すれば良かったのか。
 

正しい返事なんてなかった

「病的体験の訴えには、否定も肯定もしない」
多くの教科書で、この表現が用いられます。いやいや、その判断を迫られたらどうするんだって話。学生の僕は悩みました。実習中の学生同士のカンファレンスの題材にもしたのですが、話し合った末、対応について明確な答えは出ませんでした。
ただ、その答えがないこと自体が、答えであるかもしれません。そんないろんな意味でむず痒い言葉が頭をよぎり、こうした不確定性に、この学生はますます引き込まれていくのでした。(未完)
 

問題は「世界の有無」ではなく、「世界が脅威かどうか」

今になってそのことを考えると、「そこ、悩むところちゃうやろ」と突っ込みたくなります。
看護師として働き出してから、幻覚や妄想がありながらも穏やかに生活している人、さらにはそれを「ブンチャカいってんねんけどな、リズムがな、なんとも心地いいねん」とか、「ええこと教えたるわ」とかと言って、楽しんでいる人と出会うことが多々ありました。
こうした経験のなかで、幻覚や妄想が患者さんにとって脅威とはならない場合には、僕らもおそるおそる聞く必要がないんだと感じていくようになりました。
 

「病気でなく人をみる」感じ

僕が患者さんたちの穏やかな幻覚や妄想を楽しめるようになったのは、その人の個性が浮き出てくることを感じるようになったからです。
父はプーチン、祖父はスタローン」と言うのなら、ムキムキ外国人が好きなんだなぁ、とか。
病歴には決して載ることのない患者像を、僕の中で描くことができるようになり、途端に「病人」ではなく魅力的な「人」としてその人をみることができるようになりました。
 

僕が一生をかけても、みることのできない「世界」

楽しめる理由はもう一つあって、その「世界」はオリジナリティやユニークさのない僕にとって、思いもつかないアイデアで溢れているという点です。
保護室にいて退屈だから、壁に「テレビ」を見つけて野球観戦したり(このときはつい、「今どっちが勝ってます?」と聞いてしまった)、病棟スタッフをいい魂や悪い魂に分類したり。その発言の意図をしっかりと汲み取る必要はありますが、表現としてはとっても魅力的なものばかりでした。
 

「世界」を覗いて楽しむときのマナー

楽しむようになった流れがわかってきたところで、この記事を読まれている方へ、もしこういう話題に触れたときのマナーについてお話ししておきます。
マナーと言っても、そんなに堅苦しいことではありません。あくまで「聞き役に徹すること」を意識して欲しいです。
実を言うと、あんまり話を深めると「妄想の城」の建設に加担することになります。なので、’’So, what?’’とか’’Why so?’’とか、ロジックの完成に向けて頑張ってはいけません。
普段の雑談と変わらないような、自然な態度で、受け身の姿勢で聞いてみてください。