こころ と あたま

精神科看護師を経験し、将来は精神科医を目指して今春から医学生になる僕のつぶやきです。概ね私見なのでご承知願います。

「春の匂い」は「匂い」なのか

昨日は天気が良く、カッフェの屋外にある席で優雅な時間を過ごしていました。
冬ももうすぐ終わり、春がやってくるんだなあと感じながら、その時一緒にいた人たちとの間で、「家を出た時に、季節を感じる経験」の話題になりました。
昨日もいろいろ考えたんですが、なかなか答えが出ず。おそらくほとんどの人が感じたことのあるこの経験について、あれこれ考えていきます。
 

プルースト効果

季節を感じるとともに、「懐かしさを感じる」という意見がありました。確かに僕も懐かしさを感じます。匂い、懐かしさといえば、まずプルースト効果があげられます。これは嗅覚や味覚から、記憶が思い起こされることを指す用語です。
プルーストの小説、『失われた時を求めて』のシーンから来ているようですね。
 
仕組みについてざっくり説明すると、「匂い」は鼻腔内にある「嗅上皮」を起点に、嗅覚に関する神経系を通って、最終的に「海馬」に情報伝達されます。この「海馬」は記憶を司る部位で、ここで今嗅いだ匂いの情報が、過去に嗅いだことのある匂いかどうかを照合すると考えられています。
このとき、その匂いに関連した記憶も刺激され、それらが思い起こされることで、あの特有の懐かしさが惹起されるという仕組みです。
 
つまり、
①春の匂い(草木の匂い、お日様の匂いetc.)を嗅ぐ。
②匂いの刺激は電気信号として神経を伝って海馬へ。
③1年前の春が来た時に嗅いだ匂いと照合。
④ついでに1年前の経験や記憶も思い起こされる。(休日遊びに行ったこと、出会い、別れ、ちょうど1年前にこの道を通った夜etc.)
 
…いきなり科学的根拠に基づいた話で、これが正解な気もしますが、無謀にももうちょっと足掻いてみます。
 

第六感

シックスセンス、いい映画ですね。(余談)
ひとつ考えるのは第六感、念、です。
実は念がエネルギーを持つ可能性があるという研究が進められています。
いろいろ大丈夫かなって気もしますが
ヘェ〜そうなんだって話ですよね。(DaiGo風に)
 
ここから考えられることは、
①家を出た瞬間、嗅覚による「匂い」をはじめ、視覚による「春の風景」、聴覚による「草木が風にそよぐ音」、触覚による「温かみ」といった実在するものではなく、五感では感じられない「春」を第六感で察する。
②まだはっきりとわからない、念による情報は、僕たちにとって理解の進んだ五感の一つとして感じ取ることになる。
 
「見えるものに関する物理学」ニュートン力学の時代から、レントゲンがX線を発見したことで多くの物理学者たちがそれに魅了された、「見えないほど小さな世界の物理学」である量子力学の時代へ移って百余年、次は「見えない世界の物理学」、念力学へと時代がシフトしていくのでしょうか。ああ浪漫浪漫。
 

西田幾多郎の「純粋経験

こちらは念、ではなく、禅から着想を得た思想です。
 
西田幾多郎は「初めて日本語が母語哲学書」を書いたとされる、超一流の哲学者です。主著「善の研究」は中身も超一級品で、是非とも読んでみたいのですが、僕の読解力では読める自信がありません…精進しようと思います。ですが西田の純粋経験の考えは、高校倫理でも取り上げられる題材なので、僕でもいちばん表面の部分だけ知っていました。
 
わかりやすい参考があったので、紹介しておきます。
 
僕が考えるのはつまりこういうことです。
①「春の匂い」は「匂い」とかそういう部分的なものではなく、「春の匂い」そのもの。
②家を出た瞬間、「春の匂い」に出会った僕たちは、「春の匂い」の中に没入する。
③意識に上がってきたとき、「あ、春の匂いだ」と、春の「匂い」を感じる。
 
????????????????。
そういうこと!!(丸投げ)
 

「春の匂い」は、「匂い」であるが、匂いだけじゃない。

スピリチュアルな話にも切り込みながら、いろいろ考えましたが、概ね匂いによるものみたいですね。ただ、それ以上の、なんとも言えない部分に関しては、まだまだ深い深い神秘の部分がありました。ま、トータル春を感じれたらそれだけでOK。いい日やわーってなる。